このページは、鳴門市ドイツ館所蔵が所蔵するクロップさんの大分俘虜収容所に関係する写真を、館長の森清治様の御許可を得て当サイトに掲載、解説文や私が所蔵する関連資料を添付するものです。
クロップさん(Mr.Johann D. Klopp)は1914 年 12 月から1918 年 8 月まで大分第二収容所があった大分尋常高等小学校(現 大分市立金池小学校)第4校舎に収容され、その後千葉県の習志野収容所に移りました。2003 年6月のドイツ・ブラウンシュヴァイクで開催された鳴門の「《第九》里帰り公演」の際に、クロップの娘さんであるルイーゼ・ヴァルネッケ = ハルトゥングさんとエンネ・ヘセさんからこの写真アルバムが鳴門市に寄贈されたそうです。
館長の森清治様をはじめ、鳴門市ドイツ館の皆様に衷心より感謝申し上げます。
Klopp-A061以降は「後編」ページにあります。右アイコンをクリックしてください。→
※筆者が所蔵している大分ドイツ俘虜収容所絵葉書や郷土絵葉書、ドイツ日本研究所板東コレクションの大分関連の写真については右アイコンのページにまとめています。→
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A003
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)を南側から見た風景。収容所は有刺鉄線がある板塀で囲まれており、南門が出入口だった。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A004
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)を南東側から見た風景
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A005
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎を南東から見た風景。2階の右から3番目の男性の下に✖印があり、画像を拡大するとKloppさん本人と思われる。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A007
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)の室内。桜の生け花か
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A008
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)の室内。桜等の生け花
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A009
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)の室内。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A011
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)を南西から見た風景。遠景は東方向で、大智寺などがあった。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A012
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)の正面玄関。南門から入って、建物の南側に玄関があったことが、北側に正面玄関があった第1校舎と対照的である。大分俘虜収容所写真では、屋根破風の装飾の左部分が常に欠けている。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A013(A-007と同じアングル)
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)の内部。A-007と同じアングル。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A014
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)の東側。後にテニスコートが作られる。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A016
遠足風景か。外出時は軍服を着用していた。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A017
第4校舎北側の中庭風景。遠景は第3校舎であり、有刺鉄線がある板塀で隔てられていた。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A018(A-017と同じアングル)
第4校舎北側の中庭風景。遠景は第3校舎であり、有刺鉄線がある板塀で隔てられていた。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A019(A-017,A-018とほぼ同じアングル)
第4校舎北側の中庭風景。遠景は第3校舎であり、有刺鉄線がある板塀で隔てられていた。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A021
写真左の第4校舎(収容所)と右の第3校舎(板塀の外側)の間に設けられたテニスコート。遠景は東方向。この場所には造園や東屋も設けられる。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A022
大正4年(1915年)10月に行われた小学校運動会にドイツ俘虜も参加。当時最も広かった第2校舎と第3校舎の間の運動場、第2校舎の東南側で重量挙げを行っている。影が長いことから夕方にかけての演技だったと思われる。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A023
遠足風景か。軍服と帽子を着用しているが、ビールを片手に持ってリラックスした様子。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A024
遠足風景か。海岸の砂浜で馬車と共にくつろいでいる。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A026
通りに整列して葬列を待つ風景か。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A027
田植えをする着物姿の女性。おそらく第4校舎(収容所)を囲んでいる板塀越しの撮影で、遠景は南方向と思われる。大分第2俘虜収容所に収容されていたフリッツ・ルンプ(1888-1949) の Das Oita-Gelb-Buch ~Ein Buch fürStacheldrantkranke(大分黄本 ~有刺鉄線病患者のための本)でも描写されている。
出典 Tsingtau - historisch-biographisches Projekt
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A028
遠足風景。海岸が右遠景に見える。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A029
府内城下町の西南にあった光西寺。昭和8年(1933年)の航空写真(筆者所蔵)からもその存在感が伺える。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A031
ドイツ俘虜の葬儀。大分メソジスト教会内部。文献中の写真(「教会の百年」日本基督教団大分教会 1988年)から、内部構造が同じであることより教会が判明。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A032
ドイツ俘虜の葬儀。大分メソジスト教会内部。文献中の写真(「教会の百年」日本基督教団大分教会 1988年)から、内部構造が同じであることより教会が判明。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A033
春日神社。本殿は昭和20年(1945年)の大分空襲で焼失、戦後に再建される。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A034
大分市上戸次にある、長曾我部信親公の顕彰碑。天正14年(1586年)12月12日に戸次川の合戦で四国から出陣して島津氏に敗れた信親公を称える。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A036
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)で行われた演劇会。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A037
遠足での撮影。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A038(A033と同じアングル)
春日神社への遠足での撮影。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A039
遠足(別府の地獄巡り)の風景。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A041
遠足の風景。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A042
遠足の風景。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A043
遠足の風景。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A045
ドイツ俘虜の葬列の風景。右に別大電車、左側の遠景に二十三銀行(現在の大分銀行赤レンガ館)、それから手前に向かって大分郵便局(2つの煙突がある2階建ての建物)、手前の大分新聞社の建物が見える。筆者所蔵絵葉書とほぼ同じアングル。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A046
ドイツ俘虜の葬列が、大分市志手の陸軍墓地(現在の櫻ヶ丘聖地)に向かっている。遠景は東方向で、大分川の方角である。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A047
ドイツ俘虜の葬儀。大分メソジスト教会内部。文献中の写真(「教会の百年」日本基督教団大分教会 1988年)から、内部構造が同じであることより教会が判明。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A048
ドイツ俘虜の葬儀。陸軍墓地(現在の大分市志手の櫻ヶ丘聖地)に向かう途中か。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A050
遠足。柞原八幡宮の大楠の前での撮影。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A051
遠足。柞原八幡宮での撮影か。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A052
遠足。大分市上戸次の長曾我部信親公の顕彰碑が見える。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A053
大分市街から近く、当時海水浴がさかんだった大分市白木海岸か。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A055
遠足。大分市少林寺。ドイツ俘虜は複数回ここを訪れて、紅葉などを楽しんだ。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A056
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)を南東から見た風景。ここでは体操の器具や鉄棒、建物の東側にはテニスコートがあった。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A057
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)の内部。酒蔵庫。
鳴門市ドイツ館所蔵 Klopp-A058
大分第2俘虜収容所(大分尋常高等小学校:現在の大分市立金池小学校 第4校舎)周辺。右から2番目がこの写真帖の持ち主であるクロップ(Klopp)さん。
「Kloppさんの大分俘虜収容所写真帖 後編」に続きます。↓↓↓