おはようございます。今朝は室外気温27度、湿度74%で、晴れですが今日も蒸し暑くなりそうですね。昨年、みえ記念病院に掲示されている柳原白蓮の色紙や短冊を芦刈政治先生(郷土史家・元 三重中学校長)に読んでいただいた際に、先生から『白蓮が(豊後大野市の)大野高校のために書いた歌の掛け軸が残っているよ。』と教えられて驚きました。白蓮は別府に別荘(赤銅御殿)があり、そこで有名な駆け落ちの相手となった東大生の宮崎龍介と知り合った話や、別府市に白蓮の歌碑もあることから大分とは大変縁の深い方ということは知っていたのですが、豊後大野市に白蓮の歌があるとは初耳でした。豊後大野市や公民館に問い合わせたところ、収蔵されていた右記の掛け軸を教えてくださいました。
『地はひろし 海おほいなり この子らが はたとせ(二十年)後に のぞみをかけな 白蓮 爲 大野高等学校 昭和29年 初秋』と書かれています。(※白蓮の歌は、芦刈先生に読んで頂きました。右の写真は豊後大野市中央公民館のご厚意により掲載しています。)
現代語訳すると、『地が広く、海が大きな(大分の)この子たちの20年後に望みをかけたい』という意味になります。実際には豊後大野市には海がないのですが、大分県や日本などもっと大きなイメージで作詞されたと思われます。白蓮は戦争で息子を失いますが、戦後新しく育っている大分の子供たちの未来に希望を託したのでしょう。それにしても、なぜ『はたとせ(二十年)』という数字なのかに興味を持ちました。あくまで推測ですが、この歌が書かれた昭和29年の前年(昭和28年)に伊勢神宮の式年遷宮が行われています。二十年というのは成人の年でもありますが、式年遷宮の間隔である一世代を意味する数字かもしれないと思っています。なお、残念ながら大野高校は平成14年(2002年)に廃校になっていますが、跡地の玄関前にこの白蓮の歌を楷書体で刻んだ歌碑が残されています。
ところで、白蓮の歌幅は現在は豊後大野市役所の御部屋に飾られているそうです。今年のNHK朝の連続ドラマ『花子とアン』で白蓮が有名になったこともあり、当院の病棟にある白蓮の色紙や短冊も、ドラマを見た患者さんから『NHKに出てくる白蓮さんが書いたんやな。美しい文字やなあ。』と喜ばれています。(^^)