大分のタイムカメラ① 木造の舞鶴橋

絵葉書下の説明文は、「舞鶴橋ヨリ大分川ヲ望ム」ですが、画面上に見える橋は舞鶴橋であることから、『舞鶴橋付近から大分川を見た風景』という意味のようです。(著者所収)
絵葉書下の説明文は、「舞鶴橋ヨリ大分川ヲ望ム」ですが、画面上に見える橋は舞鶴橋であることから、『舞鶴橋付近から大分川を見た風景』という意味のようです。(著者所収)

こんにちは!


現在の認知症ケアで、『回想法』といって、患者さんの青少年時代の写真や音楽を手がかりにして、患者さんの記憶や意欲を引き出すお手伝いをする方法があります。

 

医療者にとっても、自分が生まれる前の郷土を、ドラえもんのひみつ道具『タイムカメラ』のように知ることはとても貴重な体験となります。私は上記の経緯で、大分県の様々な古絵葉書で回想法の題材になりそうなものを収集していますが、そのうちの一枚を紹介します。

 

右上の写真は、戦前(大正~昭和初期)の大分川の舞鶴橋です。西南戦争が起こる前年の明治9年(1876年)に、大分町から大分川を渡って津留村に至る『愛媛街道』として、大分~佐賀関間道路の開通に伴って竣工しました。元々の橋の名前は、「津留橋」でしたが、長い木造の橋が大分の名所となる人気となり、通称で『舞鶴橋』と呼ばれたものが、現在の舞鶴町や大分舞鶴高校(ラグビー名門の進学校で、松任谷由美の名曲「ノーサイド」でも有名)の名前の語源になっています。


残念ながら、昭和28年(1953年)の西日本大水害でこの橋が流出してからは、当時日本で2番目の面積を誇るコンクリート製で作られた今の『舞鶴橋』となりました。それにしても昔の木造時代の舞鶴橋はとても優雅ですね。当時の大分名所の一つに数えられたことを実感できます。 

                              (文:森本)