こんにちは!(^-^)
今回は、1945年(昭和20年)の空襲で焼失する前の、大分府内城のカラー写真
を紹介します。戦前は白黒の写真が一般的でしたが、大分県でも写真を着色した絵葉書として、お土産として売られていたようです。戦前の絵葉書は旧漢字や、右→左に書かれていることが特徴です。
右上の写真は、府内城の二の丸(手前の西の丸と東の丸)を、現在の大分市役所の方向から見た風景です。戦後に櫓が復元された現在の風景とあまり変わらないと思われるかもしれませんが、城内に大きな松が何本もあることや、堀に蓮が植えられていたことが戦前の特徴です。さらに、手前の二重櫓(西南櫓)と宗門櫓の間の石垣にわずかな段差があることが現在との違いです。石垣の段差があるのは、江戸時代に修築か拡張工事をされた跡かもしれませんが、戦後の復元後は平坦になっています。写真に撮影された建物は、1945年(昭和20年)7月17日の大分空襲で、宗門櫓を残して焼失してしまいましたが、1965年(昭和40年)に復元されました。
右下の写真は、府内城内に1921年(大正10年)に新築された旧大分県庁(左)と大手門(右)です。この旧大分県庁の写真を見て、『懐かしい!』と仰る高齢者は多いです。旧大分県庁は空襲では北西部を損傷しただけだったので、1965年(昭和40年)まで使用され、その後は堀を隔てた大手町にある現在の庁舎に移転しました。旧県庁跡地に1966年(昭和41年)に建てられた大分文化会館も、半世紀が経過して老朽化のため、今年(2014年)7月に取り壊されました。。。
現在の府内城はかつての旧大分県庁も、大分文化会館も無くなって、城内は広々と(閑散と?)しています。最近では1996年(平成8年)に西の丸と山里丸を結ぶ廊下橋が復元されましたが、『大分のシンボルである府内城の天守の復元を!』という県民の声が大きくなっているようですね。(参考サイト:府内城を復元する会 http://www.funaijou.jp/ )
(文:森本)