こんにちは!(^-^) 今回は、戦前の大分駅前を紹介します。
大分駅は1912年(明治44年)に別府駅から続く豊州本線の終着駅として開業しました。その後は県全域に広がった鉄道の中で、大分県の中心駅として発展します。右の写真は戦前の大分駅で、駅舎の表玄関前に植えられた大きなクスノキが名物でした。クスノキは戦災も免れ、1964年(昭和39年)の伐採まで長く県民に親しまれていました。
右の絵葉書は、大分駅の表玄関(現在の府内中央口:北口)から見た戦前の駅前広場です。ここでは大きな行事をはじめ、出征や復員した兵士の送迎、戦地で亡くなった方々の多くの棺を迎えるなど、駅を訪れる人にとって大変思い出深い場所だったそうです。写真の右端に、吉島食料品店と桜ようかんの看板が見えます。吉島食料品店は駅前でお土産のお菓子などを販売しながら食堂も開いていたお店です。
下に吉島食料品店のメニューを紹介します。看板に書かれた桜ようかん(櫻羊羹)や、地元に由来する名前を冠したお土産の豊後梅(大分県花から)、春日の友(春日町や春日神社から)、白雉飴(はくちあめ:府内城の愛称の白雉城から)などが販売されていました。食堂部ではコーヒー5銭、ライスカレーや文化親子丼30銭などのメニューが記載されています。(※画面をクリックすると拡大します)
大分駅前は1900年(明治33年)に九州で初めて敷設された路面電車(豊州電気鉄道、後の大分交通別大線)の終点でもありました。右の写真のように、開業して数年間は(路面電車の)大分駅停留所は南新地(竹町通り前付近)にありましたが、12年後に鉄道の大分駅が開設してから、現在の大分駅前まで終点が延伸しました。電気は大野郡(今の豊後大野市)の沈堕の滝に開発された水力発電所から供給され、大分別府間を約50分で運行する、当時の最先端の交通機関でした。以来、戦後の自動車の交通渋滞を軽減する目的で1972年(昭和47年)に廃線となるまで、通勤や観光に大きな役割を果たしていました。
現在の大分駅は、かつて『駅裏』と呼ばれていた上野の森口(南口)の大規模な開発が進み、さらに従来から表玄関だった府内中央口(北口)の再開発によって、『JR大分シティ』という新しい駅ビルが平成27年(2015年)4月に完成予定です。大分駅百年の歴史を踏まえて、これからも発展が楽しみですね(^^)
(文:森本)
参考文献:
田尻弘之『大分交通別大線』 RM LIBRARY 85巻 ネコパブリッシング 2006年