こんにちは(^-^)!
今週の6月27日(土)午後2時から、三重町の豊後大野市役所中央公民館にて、『道雪・紹運・宗茂を大河ドラマにする準備会in 豊後大野市』の第1回キックオフミーティングを開催します。
「大分の歴史には、ワクワクするような英雄がいない」というような話を時々聞くことがありますが、戸次道雪(べっきどうせつ、後の立花道雪)、高橋紹運(たかはしじょうん)、立花宗茂の三人の武将は江戸時代に書かれた「名将言行録」で、多くのページを割かれて紹介されており、いずれも豊後出身です。
戸次道雪(べっきどうせつ、後の立花道雪)は、落雷に遭って足が不自由になった以後も生涯現役で活躍した豊後大野出身の戦国武将です。毛利や竜造寺、島津など、敵対する武将からも尊敬され、武田信玄からぜひお会いしたいと手紙を送られたことでも知られています。さらに、後に豊臣秀吉から「東の本多、西の立花」「西国一」と絶賛され、一時は徳川家康に敵対しながら、秀忠、家光の三代に亘って高く評価された立花宗茂(たちばなむねしげ。後の柳川藩主)を養子にして育て上げた、優れた教育者でもあります。
高橋紹運(たかはしじょううん)は、国東(現在の豊後高田市)の吉弘家の出身で、立花宗茂の実父です。岩屋籠城戦をはじめとする知勇兼備の武将として、道雪と並んで大友家を支えました。有名な逸話として、紹運の婚約者が天然痘に罹患して容姿が変わってしまい、彼女の実家が遠慮して婚約を解消したいと申し出た際にも約束を違えず、仲睦まじい家庭を築いたことが当時から賞賛されています。
後に、三浦梅園が戸次道雪を『智勇節義の名将』と絶賛したように、三人の親子の人生は爽やかで節度があり、味方や部下だけでなく敵からも敬愛されていたことは郷土の誇りだと思います。今回のミーティングでは豊後での道雪の事績について、今まで所在がわからなくなってしまっていた生誕地(藪河原館=柳ヶ臺)の解明(初公開です!)を含めて、古文書と現地調査した結果を大分の郷土史家の芦刈政治先生(三重町在住)に講演していただきます。また大野町で戸次道雪の顕彰を行ってこられた元大野町長の佐伯和光さん(大野町在住)にこれまでの活動についてご紹介していただきます。私からは、事務局としてインターネットを中心とした今後の会の活動をお話しします。
ご興味のある方は、6月27日(土)の会にふるってご参加ください。 入場無料です。(^^)/
フェイスブックページ:戸次(立花)道雪・紹運・宗茂を大河ドラマにする準備会
(文:森本)