元 零戦搭乗員会長 志賀淑雄さんのお話

写真上:筆者が米国の友人にプレゼントした零戦のモデル(志賀淑雄大尉搭乗機)、写真下:志賀淑雄大尉( ©wikipedia )
写真上:筆者が米国の友人にプレゼントした零戦のモデル(志賀淑雄大尉搭乗機)、写真下:志賀淑雄大尉( ©wikipedia )

こんにちは。

 

12月に入って、そろそろ年賀状を書き始める時期になりました。季節柄、寒暖の差も激しいことから、調子を崩されている患者さんが多くなっています。どうぞお体をご自愛下さい。o(_ _)o 

 

写真は米国に2年間住んでいた際にお世話になった友人(日系Ⅲ世)へのプレゼントです。私を米国戦闘機の後部座席に乗せて飛行体験(ブログ2014年8月22日)をさせて下さった御礼に、飛行機博物館で販売されていた零戦のモデルをお送りしました。モデルのパッケージに、Lt.Yoshio Shiga (志賀淑雄大尉の乗機)と書かれているのを見て、全くの偶然ですが、20年前に私が医師になって最初に受け持った患者さん(80歳代の元零戦搭乗員)から、「素晴らしく尊敬できる方」としてお名前を伺った方であることを思い出しました。当時志賀さんは零戦搭乗員会の会長をされており、元搭乗員の間ではとても人望があったそうです。私は志賀さん本人にお会いすることはなくお話を伺うだけでしたが、大分航空隊などで勤務された後、真珠湾攻撃では制空隊長として写真のように赤が目立つ指揮官機に乗り、南太平洋海戦では攻撃隊を率いて米空母を2隻大破させるなどの活躍をされたそうです。特に驚いたのは、海軍士官としては非常に稀なケースだったそうですが、特攻作戦に公然と反対して部下を特攻に出さなかったエピソードです。上記のお話はそれまで学校などでは聞いたことがない、実際のお話だったのでとても興味深かったです。

 

志賀さんや私の担当患者さんは、戦後日本の復興に尽くされた世代ですが、復員された当時は敗戦の責任感から自らの功績をほとんど語ることはなく、御高齢になって戦争を後世に伝えなければという思いが募り、私のような孫の世代にして下さるようになったそうです。戦後から晩年は米軍パイロットからも尊敬され、基地での講演に度々招待されていたそうです。戦争を決して賛美してはいけないですが、志賀さんが若い搭乗員を庇って特攻作戦に公然と反対したエピソードは当時としては勇気ある行動であり、米国とは逆に、今の日本でほとんど知られていない状況は寂しい気がします。

 

志賀さんの御話は、詳しくは「志賀淑雄wikipedia」のサイト や、 「零戦最後の証言」という本にまとめられています。ご興味ある方は読んでみて下さい。

 

                          (文:森本)