こんにちは!
先週のブログ(12月7日)で、零戦搭乗員の御話を書いたところ、「私の家族にも海軍のパイロットがいました!」とお話をして下さる方がいて、偶然にもブログで紹介した元零戦搭乗員会長の志賀さんと同じ航空母艦で勤務されていたことがわかりました。ちょうど日米開戦があった12月8日に、志賀さんに護衛されて真珠湾攻撃に参加されたそうです。。。
ところで右の写真は、戦前の陸軍飛行場で航空整備士をされていた方に私がプレゼントした、戦闘機「隼」の組立モデルです。この飛行機を見ると大変懐かしがられ、エンジンの音で飛行機の調子を聞き分けていたことや、当時整備していた隼の機体は迷彩色だったことなどを話して頂きました。御家族も「初めて父から聞きました!」と驚きながら、興味深そうに聞かれていました。
私たち医療者は、日常診療で「100から7を引くといくらになりますか?」などの決まった形の質問に終始しがちですが、シニアである年長者に昔のことを教えていただくにはどうすれば良いかということをもっと考えるべきだと思います。これは私が歴史マニアであることとはさておき(^^;)、そのうち医学教育にも反映されればいいなと思っています。
(文:森本)