昭和8年(1933年)の大分市街

大分市勢要覧(昭和8年)所収
大分市勢要覧(昭和8年)所収

こんにちは。

 

当院のホームページの中の『回想法に役立つ大分の風景』のページで、大分の古写真を紹介しています。そこで紹介している昔の大分の風景を見て懐かしんで下さったり、インターネットをしている若い世代がおじいさまやおばあさまと一緒に写真を見て、写真が撮影された当時のことを初めて話すことができたなどの御話を伺ってとても嬉しく思います。先週も、大分市の弁護士さんの勉強会にお招き頂いて、『地域の高齢者に寄り添うアプローチ』という講演をして、古写真を用いた回想法のアプローチが高齢者とのコミュニケーションに役立つことをお話させて頂きました。

 

上の写真は昭和8年(1933年)の大分市街の航空写真です。写真の左(南)が大分駅の方向で、右(北)が府内城がある方向となります。写真の中央を斜めに走る広い通りが現在の中央通り(当時は電車通りという名称)で、大分合同銀行(戦後の大分銀行)や竹町通り入口から続く白い天幕が見えます。電車通り沿いの大分合同銀行(現在の大分銀行赤レンガ館)の道路を挟んで広い空き地が見えますが、その空き地にトキハ百貨店が昭和11年に建設されることになります。

 

この写真が撮影された12年後には昭和20年(1945年)の大分空襲によって市街が焼野原となり、トキハ百貨店や大分合同銀行などを残してほとんどが焼失してしまいます。ただ当時のことを現在の高齢者の方々はよく記憶されており、最近訪問診療に伺っている方の御出身が大分市笠和町(府内城下町にとっては西側の玄関口であり、現在のオアシスタワーホテル付近)で、週末には竹町の夜市があって値段が安くなるので楽しみに買い物をしていたことをお話して頂きました。私たち医療者にとっても、日常診療をしながら貴重な御話を聞くことができて、有難く思う毎日です。

 

                       (文:森本)