吉野村の春藤猪三男先生の思い出

大分市梅が丘の吉野梅園入り口にある、『春藤猪三男先生頌徳碑』
大分市梅が丘の吉野梅園入り口にある、『春藤猪三男先生頌徳碑』

 

こんにちは。写真は大分市吉野梅園の入り口にある『春藤猪三男先生頌徳碑』で、高さが3メートル以上の大きな碑です。圧巻春藤先生は大分駅が開通した明治44年(1911年)3月3日に現在の大分市松岡で生まれ、京城医学専門学校を卒業後、台北帝国大学理学部を昭和19年(1944年)に卒業して昭和21年(1946年)に日本に帰国してからは吉野村(現在の大分市梅が丘周辺)で地域医療に従事されました。

 

昭和43年(1968年)生まれの私の記憶にある春藤先生はとにかく偉い人というイメージで、幼稚園か小学校低学年のころに吉野の実家に近所の人がたくさん集まって広間で車座になっているときに、その真ん中に来るように言われて座ると、ちょうど春藤先生にとって御尻を向けた方向で座ってしまったので、おじいさんから怒られた記憶があります(^^;)...。ただそのときにもニコニコと穏やかにされていた春藤先生が印象的でした。春藤先生はその後、大南町教育委員長や大分市議会議員をされて、お亡くなりになったときは写真のような大きな顕彰碑が建てられました。改めて碑文を読むと先生の笑顔が眼に浮かびます。。。

 

                       (文:森本)