大分県教育発祥の地に立つクスノキ

 

 こんにちは。写真は大分市荷揚町の大分県庁正門前のバス停の横に立つ『大分県教育発祥の地』と『大分県立第一高等女学校碑』の写真です。左側の遊歩公園道路遠方には、大分城址公園(府内城)の着到櫓が見えています。写真の中央に聳える大木はクスノキで、戦前から大分第一高等女学校の敷地内にあったそうです。

 

 五角形の大分県教育発祥の碑の背面には、以下のような文章が刻まれています。昭和41年(1966年)に大分大学の教育学部同窓会が創立90周年を記念して建立したそうです。(※西暦は筆者が記載しました。)

 

       発 祥

 

大分県師範学校   明治 9年(1876年)10月

大分中学校     明治18年(1885年)  5月 

大分第一高等女学校 明治33年(1900年)4月

大分県女子師範学校 明治40年(1907年)2月

 

     大分大学教育学部同窓会

 

碑文について補足します。

 

①明治9年(1876年)に現在の碑や大分県庁の本館が立つ土地に大分県師範学校が開学します。その翌年の明治10年(1877年)に起こった西南戦争では西郷軍に呼応した増田宗太郎の中津隊が府内城内の大分県庁に向けて発砲する(後に撤退)など、世情が不安定な時代でもありました。

 

②明治33年(1900年)に大分県師範学校が春日浦(当時は海岸沿い)近くにある現在の大分市王子北町へ移転したことに伴い、大分県立大分第一高等女子学校が大分県師範学校の旧校舎を受け継ぐ形で開学しました。

 

③大分県立大分中学校は明治18年(1885年)に当時の大分県師範学校の北側、現在の大分県庁新庁舎の土地に誕生しました。その後、校舎が手狭となり、明治27年(1892年)に上野丘に移転して、戦後の大分上野丘高校の前身となります。

 

④大分県女子師範学校は、明治40年(1907年)に大分高等女学校に併設する形で開学し、明治44年(1911年)に大分市長浜町(現・長浜小学校の地)に移転しました。

長浜町に移転した女子師範学校に併設する形で、昭和5年(1930年)に大分第二高等女学校が開設されます。

 

このように現在の大分県庁の敷地がある一帯は、大分の主要な学校が最初に開設された地であり、まさに「大分県教育発祥の地」ですね。今では当時の遺構は発祥碑の隣にある大きなクスノキのみのようですが、そう考えるとひっそりと佇む大楠が何かを語りかけてくれるようですね。。。

 

                          (文:森本)