医者が患者さんの死期を予測するということ 

森鴎外著『カズイスチカ』が収録されている、鴎外全集(岩波書店 昭和47年刊)の第8巻です。
森鴎外著『カズイスチカ』が収録されている、鴎外全集(岩波書店 昭和47年刊)の第8巻です。

 

 こんにちは。

 

 明治の文豪  森鴎外の本業は医師で、陸軍軍医を務めていたことは有名ですが、鴎外の小説に『カズイスチカ』という短編があります。明治42年(1909年)に発表された作品で、東京で開業していた父 静泰の診療を、大学時代に手伝っていた鴎外自身の視点から描いたものと言われています。カズイスチカ(Casuistica)とはラテン語で、現代風に訳すと「臨床診療学」というような意味になります。

 

 あらすじは、大学を卒業して医学士となった主人公の花房が、東京で開業していいる父(翁)の診療を手伝った際に、大学で習った医学とは程遠い診療を行う父に反発すると同時に、患者さんに対する真摯な姿勢や死期を予測する確かさに感銘を受けたことを中心に描かれています。翁は、患者さんを単なる症例(casus:カズス)として見るのでなく、今で言うところの全人的医療として『カズイスチカ』を実践する医師として描かれています。以下、小説の該当部分を引用します:

 

『若い花房がどうしても企て及ばないと思ったのは、一種の Coupd' Œ il (クウ ドヨイユ) であった。「この病人はもう一日は持たん」と翁が云うと、その病人はきっと二十四時間以内に死ぬる。それが花房にはどう見ても分からなかった。只これだけなら、少花房が経験の上で老花房に及ばないと云うに過ぎないが、実はそうでは無い。翁の及ぶべからざる処が別に有ったのである。翁は病人を見ている間は、全幅の精神を以(も)って病人を見ている。そしてその病人が軽かろうが重かろうが、鼻風だろうが必死の病だろうが、同じ態度でこれに対している。盆栽を翫(もてあそ)んでいる時もその通りである。茶を啜(すす)っている時もその通りである。』

 

 以上、森鴎外 著『カズイスチカ』より抜粋しました。上記の、Coupd' Œ il (クウ ドヨイユ)とは、フランス語で「一見」の意味で、この場合『一目で理解する洞察力』を表しています。

 

 現在の医療でも、臨床所見に加えて血液データや画像所見などを元にすると、死期をある程度予測することは可能です。例えば1日排尿量は、数時間~翌日の死期の目安になることがあります。私は医師になって20年目ですが、ほぼ死期が予期できる場合がある一方で、予期できないこともあります。後者については、そもそも人の寿命を予測することは不可能という考えもありますし、現代医学にも限界があるのは当然ですが、折に触れて『カズイスチカ』の翁を思い出して、全幅の精神を持って患者さんを診なければ、と日々自省しています。。。

 

参考文献 :『鴎外全集 第8巻 カズイスチカ』岩波書店 昭和47年(1972年)

参考サイト:青空文庫  森鴎外著『カズイスチカ』

 

                       (文:森本)