福沢諭吉が幕末に書いた英語の手紙

1862年(文久2年)に福沢諭吉が参加した遣欧使節の旅の帰途で、セイロン島ガル港の船上で書いた手紙の前半(表)部分。©慶応義塾大学
1862年(文久2年)に福沢諭吉が参加した遣欧使節の旅の帰途で、セイロン島ガル港の船上で書いた手紙の前半(表)部分。©慶応義塾大学

 

 こんにちは。郷土の先覚者である福沢諭吉はあまりにも有名ですが、先日、福沢が幕末に書いた直筆英文を興味深く読みました。華麗な筆記体で書かれています。心のこもった、わかりやすい表現で書かれていますが、意外に英語の中で文法的な誤りもいくつかあったことが新鮮な驚きでした。以下に、私が気が付いた範囲で訂正可能な部分を赤字で付記しています(下の青字は私の試訳と補記です)。この手紙は、日本が欧州各国と結んだ修好通商条約の調整のために1862年(文久2年)に派遣された遣欧使節の通訳として、品川→長崎→香港→シンガポール→セイロン→スエズ→カイロ→マルタ→マルセイユを経て、フランス、イギリス、オランダ、プロシア(現在のドイツ)、ロシア、ポルトガルを巡り、帰路はリスボンからアレキサンドリア→カイロ→スエズ→アデン→セイロン→シンガポール→メコン→香港を経て、日本に帰国するまでの1年間の長い旅の帰途に書かれました。イギリス領だったセイロン島(現在のスリランカ)のガル港に寄港した船上から、フランスで福沢ら使節と交流があったレオン・ド・ロニー(Léon de Rosny)氏に宛てたものです。当時福沢は27歳でした。

 

18 Dec.1862 

On board of the French steamer Europen (Européen in French or European in English?) 

Point de Galle 

1862年12月18日(文久2年10月27日)

フランスの蒸気船ヨーロッパ号の船上にて

(セイロン島)ガル港より

 

    With pleasure I have received your charming note including in the letter to D Motouki at Alexanderia (Alexandria?), where we have arrived (on) 17th November; of course I was obliged to answer for it directly, but as soon as we arrived at Alexandeira I have departed there to Suez with some of our officers taking care for the baggages before Ambassadores (Ambassadors?) , so that I had no time to write the answer to you, I hope you would not be angry for it. 

11月17日に到着したアレクサンドリアにて、D Motouki 氏への手紙を含むあなたの素晴らしい書簡を頂き、感謝しております。もちろんすぐにご返事するつもりでしたが、アレキサンドリアに到着した後ただちににスエズに向かって出立した際に、上官と共に大使の荷物の管理をしていたため、ご返事を書く時間がありませんでした。どうぞ御容赦下さい。

 

   At(On) 20th of November we have departed from Suez with French steamer Europen arrived at Adens 28th of said month staying there five daies(days) departed from Aden (on) 3(r)d of d(D)ecember and arrived here (point de Galle) yesterday, supposing the voyage forward we shall be at Japan in 45 or 50 days more. 

11月20日に、フランス国籍の蒸気船『ヨーロッパ号』に乗ってスエズを出発して、アデンに28日に到着、そこで5日間滞在しました。アデンを12月3日に出発して、こちら(セイロン島ガル港)に昨日到着しました。私たちが日本に向かう航海は、あと45日~50日以上かかる見込みです。

 

(以下は手紙の裏面部分です⇩) 

   On board I have not much official busyness to do, so I am now studing(studying)  the French every day but in embrassment (embarrassment?) to understand it. 

船上では公的な忙しい用事がそれほどないため、今私はフランス語を毎日勉強しています。それでもフランス語を理解するのは難しいです。

 

  That you are always in good health have the same feelings for Japan and for myself, is the hearty wish of 

あなたがいつまでも健康であることは、日本にとっても私にとっても同じ、心からの願いです。

your upright friend

親愛なる友人

Foucousawa Youkitchy(Fukus(z)awa Yukichi)

福澤諭吉(日本語での縦書き署名)

 

 僭越ながら現在の視点から訂正可能な箇所を示しましたが、文法や綴りがほんの少し間違っているからといって、英語教育の先駆者である福沢諭吉の偉大さは少しも損なわれることはないと思います。むしろ後学の私たちに「あの福沢諭吉先生でさえ、間違えることがあるのだな~。それよりも真摯な文章の中身やコミュニケーションをする積極性が大切。」と、大事な教訓を与えてくれる気がします。

 

 150年以上前の幕末、欧米とは暦も異なる時代(手紙は宛先のレオン氏に合わせて西暦の日付で書かれていますが、当時日本は太陰暦で、太陽暦の西暦より約1ヶ月遅れていました)に、オランダ語に加えて英語を先駆的に学び、慶應義塾を創設した偉人に改めて敬意を表したいと思います。

 

参考文献:

慶応義塾 編 『福沢諭吉書簡集 第1巻』 岩波書店 2001年 

 

                                                   (文:森本)