日本赤十字社大分支部跡の松

写真上:大分市高砂町にある日本赤十字社大分県支部跡の松(著者撮影)。写真下:日本赤十字社大分県支部発祥の地の記念碑と昭和40年代の写真©日本赤十字社
写真上:大分市高砂町にある日本赤十字社大分県支部跡の松(著者撮影)。写真下:日本赤十字社大分県支部発祥の地の記念碑と昭和40年代の写真©日本赤十字社

 

こんにちは。大分市街は昭和20年(1945年)の大分空襲で中心部の大半が焼失しましたが、一部の建物や樹木は残っており、大切に保存されています。前回は、『大分県教育発祥の地に立つクスノキ(2017年6月21日ブログ)』にて、大分県庁内にある、戦前は大分第一高等女学校にあった大クスノキを紹介しました。

 

今回は、大分市高砂町の大分オアシスタワーホテル近くにある、日本赤十字社大分支部跡に残っている松を紹介します。上の写真のように、大きな松の傍らに『日本赤十字社大分県支部発祥の地』の記念碑があります。明治36年(1903年)に府内城下の西の玄関である笠和口(竹町通りの西の端で、オアシスタワーなどがある現在地)に日本赤十字社大分県支部の社屋が完成し、大正11年(1922年)に日本赤十字社の総裁がこの松を御手植えされたことに始まります。

 

大分市は前回紹介した県庁前のクスノキをはじめ、府内城の御堀端にある松など、街の中心部にある古木を大切に残していることは素晴らしいと思います。この日赤大分支部跡前にある松も植えられてから95年が経過していますが、高さ10メートル以上の巨木に成長しており、今は日赤の建物がなくなっても当時の佇まいを残しています。これからもできるだけ大切に保存してほしいと思います。

 

                     (文:森本)