こんにちは。病院で行われる治療の中で、薬物治療は全体の9割以上を占めると言われています。これから薬と歴史人物に関する興味深いエピソードを紹介していきたいと思います。
今回は徳川家康が愛用して自ら調合していた『八味地黄丸(はちみじおうがん)』を紹介します。江戸幕府を開いた徳川家康(1543年~1616年)は、戦国武将の中でも長命(73歳)でした。65歳で16人目の子供を設け、亡くなる前年まで鷹狩りや水泳を楽しんだほど健康であったことが成功した大きな原因と言われています。
駿河の今川と尾張の織田という二大勢力に挟まれた三河国(現在の愛知県東部)に生まれた家康は、6歳から人質になり苦労して成人しますが、医薬に関心を持ち、自ら薬を調合して病気の家臣に与えるほどになります。慶長18年(1613年)に、側近の本多正信が家康のもとを訪れた際にも、病気がちだった正信を案じて八味地黄丸を百粒与えた記録が残っています。
八味地黄丸は地黄を中心とする8つの生薬(地黄 じおう、山茱萸 さんしゅゆ、山薬 さんやく、沢瀉 たくしゃ、茯苓 ぶくりょう、牡丹皮 ぼたんぴ、桂皮 けいひ、附子末 ぶしまつ)から成ります。実際に家康は、上記8つの成分に滋養強壮を高める意図で海狗腎(かいくじん)を加え、薬棚の上から八番目の引き出しに入れて『八の字』と愛称で呼んでいたそうです。
元々、八味地黄丸は中国で不老長寿を目指して作られたと言われ、「金匱要略(きんきようりゃく)」という有名な漢方書籍の中で、最も多く登場する薬です。八味地黄丸は、東洋医学の概念で『腎』の衰えを改善する効果があり、医療用医薬品として認可されているツムラ八味地黄丸の薬剤添付文書には『効能又は効果』として以下のように書かれています→『疲労、倦怠感著しく、尿利減少または頻数、口渇し、手足に交互的に冷感と熱感のあるものの次の諸症:腎炎、糖尿病、陰萎、坐骨神経痛、腰痛、脚気、膀胱カタル、前立腺肥大、高血圧』
特に、腹診(東洋医学的な腹部診察)で『臍下不仁(下腹部の中央部が軟弱)』、『少腹拘急(腹直筋の下方が緊張)』という特徴がある方に有効とされています。
最近のトピックスとして、八味地黄丸の認知症に対する効果を示す論文が報告されており、既に認知症の分野で広く使われている抑肝散に加えて、今後は八味地黄丸が治療の柱になる可能性が注目されています。
(参考文献)
宮本義己『戦国武将の健康法』新人物往来社 1982年
ツムラ八味地黄丸エキス顆粒(医療用)薬剤添付文書 2014年10月改訂(第7版)
高山宏世『漢方常用処方解説(改訂12版)』三孝塾叢刊 1991年(改訂第12版)
Iwasaki K, et al. A randomized, double-blind, placebo-controlled clinical trial of the Chinese herbal medicine “Ba wei di huang wan” in the treatment of dementia. Journal of the American Geriatrics Society 2004; 52: 1518-21
(文:森本)